【芸人】永野の若い頃と今が全然違う!時系列ごとに比較してみた

3月17日放送の「だれかtoなかい」で芸人の永野が出演しましたね。

相変わらず狂っているね

そんな永野さんですが、若い頃からルックスや芸風は同じなのでしょうか?

デビュー当時を見ていると、かなりルックスが違うことがわかります。

青丸で囲っている人が、永野さんです。

全然違うね

芸風もシュールな一人コントが多かったようです。

そんな人が、どんなふうにして今の芸風になったんだろう

この記事では、

この記事で詳しく話すこと
  • 永野は、いつから今の芸風やルックスになった?
  • 永野は、事務所を何回も移籍している?
  • 今の芸風が作られたきっかけとなった俳優は?

それぞれ見ていきましょう。

目次

永野の若い頃は今と全然違う

永野さんの若い頃は、今と全然違うことがわかっています。

1995年にデビュー当時↓

今と違う点は2つ

今の永野と違う特徴
  • 長髪ではなく、短髪なところ
  • 服装が水色の長袖ではない

というところですね。

芸風が今なら、「◯◯より普通に△△が好き」「◯◯で△△をしてはいけない」と叫ぶ芸風です。

しかし、昔は、「浜辺で九州を一人で守る人」のようなシュールな一人コントをしていました。

この永野さんが、いつから今のスタイルになったのか見ていきましょう。

永野はいつから今の芸風やルックスになった?

永野さんはいつから今のルックスや芸風になったのでしょうか?

今の芸風になったのは、2013年頃だと考えられます。

永野が今の芸風に至る流れ

1995~2002:デビュー、ホリプロに所属

2002~2010:フリーになり、五木ひろしのモノマネ

2010~2013:フラットファイブに所属、今の芸風を確立する

2014~現在:グレープカンパニーに所属、現在大ブレイク中

一緒に見ていきましょう。

1995~2002:デビュー、ホリプロに所属

永野さんは、1995年にデビューしたことがわかっています。

短髪の永野さんは新鮮だね

芸風も今の永野さんとは、全然違います。

かつては「浜辺で九州を一人で守る人」「前すいませんをやりすぎて、イワシになってしまった人」「事件の手掛かりとなるディスクを見せびらかすだけ見せて颯爽と立ち去る人」などと言ったネタや[4]、『スパイダーマン』や、『13日の金曜日』のジェイソンなどの物真似を、「見たことないけど」と前置きした上で行うという芸があった

永野 (お笑い芸人) – Wikipediaより引用

今の歌を大声で歌いだすような芸風とは、少し違いますね。

これからどのような変化があって今に至ったんだろう

2002~2010:フリーになり、五木ひろしのモノマネ

2002年から、永野さんはフリーで活動しています。

なぜ、フリーになったのか?

その理由は、ホリプロから戦力外通告を受けたからでした。

ホリプロからは「君の芸風はホリプロではない」という理由で所属契約の解除を通告され、当時のマネージャーからは「お前のことが好きだから『クビ』とは言いたくない。頼むからお前から『この事務所を辞める』って言ってくれ」と泣かれたという

永野 (お笑い芸人) – Wikipediaより引用より引用

酷い言われようやね

最終的に、ホリプロから追放された永野さんは、フリーで活動します。

このとき、五木ひろしさんのものまねを始めます。

「四木ひろし」(よつきひろし)と名乗って、五木ひろし物真似でライブに出演していたこともあった

永野 (お笑い芸人) – Wikipediaより引用

一部の人には好評だったようですが、ブレイクには至らなかったようです。

ここから、音楽を使い始める芸風をやり始めます。

今の芸風に近づいてきた

2010~2013:フラットファイブに所属、今の芸風を確立する

2010年から、事務所をフラットファイブに移籍しています。

なぜ、この事務所に移籍したのでしょうか?

移籍先にフラットファイヴを選んだのは、売れてる芸人が(当時まだ)いなかったからということで「もう30歳を過ぎていたし、年下の芸人を先輩と呼ぶのもイヤだなと思った」ということが理由だった

永野 (お笑い芸人) – Wikipediaより引用

この事務所に所属している他の芸人を見てみると、

フラットファイブに所属していた芸人
  • あぁ〜しらき
  • サンドウィッチマン
  • ゼンゴー

サンドウィッチマンは、2007年にM-1で優勝して、これからブレイクしていくといった感じでした。

しかし、それ以外の芸人は、この当時売れていなかったので居心地が悪くならずに済んだのかもしれません。

そして、永野さんは、自分の芸風を確立します。

「ゴッホより、普通に、ラッセンが好き」のネタが2013年から流行り始めます。

ようやく今の芸風が確立したんだね

2014~現在:グレープカンパニーに所属、現在は大人気

現在は、グレープカンパニーに所属しているようです。

なんで、事務所を移籍したのかな

サンドウィッチマンの担当マネージャーが新事務所グレープカンパニーを立ち上げたことに伴い、ほとんどの所属タレント・作家が同社へ移籍[1]。所属タレントはホロッコと、大渡健一と小林剛によるお笑いコンビである元ブラジル代表のみとなった。

フラットファイヴ – Wikipediaより引用

多くのタレントが、グレープカンパニーに移籍したので、永野さんも移動したのかなっと。

事務所を移籍しても、勢いは衰えることはありませんでした。

日経エンタテインメント!』2017年7月号掲載のアンケート「嫌いな芸人ランキング」では全投票者の内25歳から34歳の男性の層に限定した場合の1位にランクイン。

このアンケートが開催されたのと近い時期にベッキーが「休業中に動画を何度も見て元気をもらった」と公言するなど、芸能界には根強いファンが多い

永野 (お笑い芸人) – Wikipediaより引用

嫌いな芸人ランキングで1位を取れるのは、すごいですよね。

今の芸風はどのように作られたのか?

今の永野さんの芸風はどのようにして作られたのでしょうか?

30半ばまで鳴かず飛ばずだったという永野。「ラッセンネタ」の音楽は、時間が余ったスタッフが遊びで作ったもので、赤いズボンと青いシャツという衣装も、偶然の組み合わせだったという。さらに、2015年に「ラッセンネタ」が大ヒットした影にはある俳優の影響があったという。

「ラッセンネタ」は斎藤工が大ヒットさせた?芸人・永野の人生を変えたブレイクの真相を明かす | 文化放送 (joqr.co.jp)より引用

音楽や服装は、スタッフが作ったものだったようですね。

そして、最初に披露した番組が、「演芸パレード」だったようです。

ここで、共演した斎藤工さんがこのネタを気に入ったことがブレイクへと繋がりました。

ドラマ「昼顔」に出てた斎藤くんが、お笑いの短編映画を撮ることになって、最後に出てくる一番面白いラスボス役に永野さんを指名してるって言うんです。

自分は他に仕事もないしやる気に満ち溢れてたので、その一つ一つで別のネタをやったんです。そこで披露した一つが「ラッセン」だったんです。」

「ラッセンネタ」は斎藤工が大ヒットさせた?芸人・永野の人生を変えたブレイクの真相を明かす | 文化放送 (joqr.co.jp)より引用

このときに使われた「ラッセン」が、拡散してブレイクに繋がったようですね。

斎藤工がキーマンだったとは

まとめ

この記事では、この3つの疑問に答えていきました。

この記事で詳しく話したこと

Q.永野は、いつから今の芸風やルックスになった?

A.2013年頃から、今の芸風が確立されたみたいです。

Q.永野は、事務所を何回も移籍している?

A.永野さんは事務所を何回か移籍していたことがわかりました。

ホリプロ→フラットファイブ→グレープカンパニーの順で移籍しています。

Q.今の芸風が作られたきっかけとなった俳優は?

A.斎藤工さんの短編映画に出演していたことが、きっかけのようです。

永野さんのこれからに活躍が、楽しみですね!

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